筑後川の四大井堰の紹介

大石堰の位置図

               (この位置図は筑後川河川事務所発行の「筑後川流域基礎情報」による。)

歴史的背景

袋野堰より下流に大石堰が造られている。筑後川左岸生葉郡包未村(現・久留米市)の地区は、水田がわずかで、畑が多く、水の便も悪く、そこで夏梅村庄屋の栗村次兵衛、清宗村庄屋の本松平右衛門、高田村庄屋の山下助左衛門、菅村庄屋の猪山作之丞、今竹村庄屋の重富平左衛門の五庄屋は、大石堰の開削を図った。五人の庄屋は「銘々一命を捨申候ても御願可申旨、誓詞血判仕堅申合」と、一命を投げ打っての請願であった。工事現場には、五本の磔柱が立ち、苦悩がただよったが、堰の竣工日には喜びに変わったという。いま、取水口に佇めば、筑後川の水が滔滔と流れ込み、昭和28年6月の大水害で破壊された堰は石積からほとんどコンクリートに改築され、広々とした素晴らしい水辺空間を創り出している。

大石堰の全景

               (この全景写真は筑後川河川事務所発行の「筑後川流域基礎情報」による。)

現地探訪

  

 大石堰の現地を探訪しました。


    大石堰

    大石堰

    大石用水取水口

   五庄屋遺跡